こんにちは、滋賀県湖南市のDONGREE COFFEEROASTERS 店主&焙煎士のドリーです。
今回は僕がコーヒーを仕事の一つに選んだ理由でもある、スペシャルティコーヒーを取り巻く世界的な経済の変化について、お話したいと思います。
コーヒーの生産地 = 経済的後進国のイメージ
『コーヒーベルト』という言葉があります。
これは、赤道を挟んで北緯25度から南緯25度までの、コーヒーの生産地が集中しているエリアになります。
さて、みなさんはコーヒーの生産地と聞くと、どんな国や地域をイメージされるでしょうか。
中南米?アフリカ?東南アジア?
コーヒーの産地として挙げられるのは、このあたりの国々がほとんどですが、コーヒーに詳しくない方でも特にブラジルとかコロンビアなどはよく耳にされることが多いのではないでしょうか。
缶コーヒーの原材料でも目にしますよね。
私もコーヒーに全く興味のなかった頃から、ブラジルやコロンビアが何となくコーヒーの生産地なんだな、という印象を持っていました。
コーヒーを趣味にし始めてからは、中南米のグァテマラ・コスタリカなど他の国々も品質の高いコーヒーを作っていること、インドネシアや東南アジアでも沢山コーヒーが作られていること、アフリカでも個性的なケニアやエチオピアのような産地があることを知りました。
そして、生産地 = 経済的後進国
というイメージも持つようになりました。
今のコーヒーマーケットの形は、500年以上前のオスマン帝国時代に作られはじめた
コーヒーの原種、つまり今私たちが飲んでいるコーヒーの1番最初の苗木となった木は、9世紀ごろのエチオピアの高原で見つかったとされています。
現在では『エチオピア イルガチェフェ』という銘柄で親しまれている方も多いと思いますが、コーヒーの原種であるがゆえに、私たちが普段馴染みのあるコーヒーに比べてとても独特な華のある風味が特徴です。
矛盾している表現ですが、最初にエチオピア イルガチェフェを飲んだ時の印象は『苦くない!コーヒーじゃないみたい!』という衝撃の美味しさでした。
さてそんなコーヒーの原種が発見されてから数百年後、オスマン帝国(現在のイスタンブールを中心とした大帝国)がその勢力を広げ、海を超えたアフリカ地域を支配しはじめたところから、現在に至るコーヒーの流通は始まります。
ヨーロッパやインド(ジャワ島)に持ち込まれたコーヒーの苗木
広大な領土を持つオスマン帝国の時の統治者『スリム1世』のエジプト征服によって嗜好品としてのコーヒーが伝わります。そして帝国領土内であるカイロを経てイエメンへ、そしてインドのジャワ島に苗木が持ち込まれることで、人類はコーヒーの生産地・生産量を増やし始めます。
この、『帝国による征服』という歴史的な動きがコーヒーを繁栄させていき、今日の私たちが愉しんでいるコーヒーに繋がってゆきます。
つきつめれば征服も嗜好品も、人の欲望の成せる業とも言えますね。
ヨーロッパ全盛期!植民地支配でさらに広がるコーヒー
栄枯盛衰、そんな栄華を極めたオスマン帝国が崩壊し、続いてヨーロッパ諸国が世界の覇権を握る時代が到来します。
この頃オランダでは、世界初の株式会社である東インド会社も創設され、貿易拡大のための航海技術が劇的に進歩していきました。
その結果として、有名なコロンブスの新大陸発見や西欧人のアメリカ大陸への移住が始まりますが、同時に持ち込まれたものの一つがコーヒーの木でした。
寒暖差の大きい高標高の産地が多い中南米でのコーヒー生産のはじまりです。
そしてこのコーヒー生産を担ったのが、当時のヨーロッパ諸国の主な収入源であった植民地政策による奴隷達でした。
つまり500年以上前から続く、とても不平等な経済格差そのままに、現代のコーヒーマーケットの形になっていきました。
しかしスペシャルティコーヒーの台頭で、コーヒーを取り巻くアンフェアな関係に大きな変化が起きています。
生産者の顔が見えるコーヒーが起こした、サードウェーブムーブメント
『スペシャルティコーヒー』
それは市場に出ているコーヒーの中でもトップクオリティの豆を表す称号で、その評価基準はいくつかありますが、共通するのは農作物としての鮮度と品質がとても良いこと、個性的であること、そして何よりも生産者の顔が見えていること。
例えばコーヒーショップで販売されているコーヒーの銘柄に
『コスタリカ ドン・オスカル エル・コヨーテ ビジャロボスRH』
というものがあった場合、
コスタリカという国の
ドン・オスカルという精製所(ミル)の
エル・コヨーテという農園で栽培されている
ビジャロボスRHという品種(※RHはレッドハニーという精製方法を表す)
のコーヒー、という意味になります。これをトレーサビリティ(追跡可能性)と呼び、スペシャルティコーヒーの必須情報でもあります。
これが、他のコーヒーと比べたときのスペシャルティの特徴です。結果的に美味しい、という評価があって、それが生産者の利益へと還元しています。
一見あたりまえの仕組みに見えますが、これはスペシャルティコーヒーの概念が生まれる以前の世界では、あたりまえではありませんでした。
スペシャルティコーヒーが世界共通の価値観として芽生え始めたのが1980年代。
それ以前は、品質よりも収穫量で計られ、生産者への対価は市場価格に大きく左右される世界でした。
いくら良いコーヒーを作っても量でしか計ってもらえない、そんな環境では、生産者として品質を高めることはとても困難なことでした。
昔のコーヒーに苦いコーヒーが多かったのは、この品質の不安定さによるものだと私は思っています。
品質の不透明で不安定なコーヒー豆をどうやったら美味しく飲めるか、その試行錯誤の末に、先人たる焙煎職人達は『深煎りにして雑味・渋みを消して飲みやすくする』という手法に行き着いたのではないでしょうか。
翻って近年、とくに2013年ごろから盛況になってきたサードウェーブコーヒーというムーブメントでは、ハンドドリップで一杯ずつ丁寧に淹れる『浅煎りコーヒー』が主流と言われています。
これは、ただ単に浅煎りコーヒーが流行っているということではなく、スペシャルティコーヒーの流通が多くなったこと、その品質がドンドン上がっていること、そしてそれを支えるための『マイクロロースター』と呼ばれる小規模コーヒーショップが増えている、という背景があります。
規模を小さくクオリティを上げる、というマインドからもハンドドリップで浅煎りコーヒーを提供するお店が都市部を中心に日本でも増えてきているのです。
格差をなくし、世界をフェアにするスペシャルティコーヒーの希望
コーヒーが新鮮な農作物として、果実の種としての品質が高いのであれば、むしろ深煎りにしないほうが食材そのものの味を楽しめるし、それが生産者への評価へと繋がります。
「美味しいと思えるコーヒーを、必要なときに必要なだけ」
アメリカ西海岸を中心に広まってきたそんなマインドから、リーマンショック後の大量生産大量消費のカウンターカルチャーとしてもサードウェーブコーヒーは機能してきました。
結果的に、コーヒーの品質を大切にする農園とコーヒーロースター双方のクラフトマンシップにより、『浅煎りコーヒー = サードウェーブ』というイメージが強くなったのだと思います。
もちろん深煎りには深煎りにしか出せない味もあるし、それもコーヒーの魅力です。
極論ですが、お魚を食べるときに『刺身魚』として美味しいのか『焼き魚』として美味しいかのか、くらいの感覚だと思ってます。
味わい方が全然違いますよね。
いずれにしても、生産者の評価をわかりやすくして、世界中のコーヒーの品質を上げてくれている『スペシャルティコーヒー』は、かつて植民地として支配されていた国々にスポットをあて、そこで暮らし働く人たちへの経済的な繋がりを生み出す契機となっていることは確かで、だからこそ私はコーヒーが世界平和の種なんじゃないかと信じているところがあります。
今後、気候変動の影響で生産地や品種の大きな変化が起きる(2050年問題)と言われていたり、まだまだ生産者への利益還元が少ない、病虫害や災害のリスクが高い、などの課題も多く残っているコーヒー業界ですが、少なくてもコーヒーを飲む人がこれからも居続けるかぎり、コーヒーを愛する人がいる限り、スペシャルティコーヒーはこれからも世界を繋ぎ続けていくでしょう。
それが世界平和への架け橋になっていくことを楽しみに、私はこれからもコーヒーを仕事にしてきたいと思っています。
みなさんのコーヒーライフにも、楽しい発見と美味しいひとときがありますように!
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